大阪・関西万博 (2025)

大阪・関西万博(2025)に行ってきた。

 

実は愛・地球博(2005)の際にも近くに寄る用事があったので参加したことがあるのだが、当時はまだ幼くほとんど記憶に残っていないので実質これが初めての万博参戦と言えるだろう。

ほとんど記憶にない、と書いたが唯一覚えていることがあって、それがヨルダン館の「死海体験」というコーナーでの体験である。文字通り死海を再現したプールを体験できるというものだったが、参加資格が中学生以上だったために体験できず拗ねたこと、それで帰りのモノレールでかなり叱られていたことは今でもわりと鮮明に覚えている。なぜあんなに叱られたのかはさておきヨルダン館への未練はそれなりにあって、今回のヨルダン館も結構人気だということでその未練を晴らしに行きたい、というのが今回の主な目的といっても過言ではない。

 

早速全体的な感想を述べておく。一言でいうと、概してとても面白かったのだが、思わないことがない訳でもない、といった感じだろうか。万博が叩かれすぎていた反動で流石に持て囃され過ぎている気もするので、少し思ったことを記しておこうかなと思う。

 

とりあえずまずは万博の定義について考えてみたい。

国際博覧会条約によると「博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」らしい。要は「人類の(技術的な)進歩」を展示するということか。それに加えて昨今は条約の拡大解釈で「国際的な文化交流」や「地球規模の課題への取り組み」といった側面を持ち始めているようである。

私だけかもしれないが、「万博に行く」となると、やはりその原義が示すような「未来感」、つまり自分たちの生活がどう変わっていくのかを示してくれるような展示を期待してしまう。他方で2025年にもなったらブレイクスルーを起こす画期的な技術なんてとっくに頭打ちだし、それに近しい技術もインターネットを通じていくらでも知ることができる訳で、元々の万博が持っていた未来へのワクワク感はとっくに失われていた。そりゃあ条約の拡大解釈も始まるのも当然だろう。もしかしたら自分がこういった技術に近しいところにずっといることが原因かもしれないとは思うけど、その点では少し残念だった。

 

まあそのことは良いとして、一番問題だったと感じるのは今回の万博が掲げている SDGs とかいうテーマである。

まず私はこのSDGsという概念が好きではない。人類は真に平等たりえない。だからこそ、その不平等に対して自覚的になり、身近な不和を解消していくことこそが重要で、その積み重ねが真に調和を齎すのだと考えている。しかし、SDGsが標語として掲げる言葉足らずな「平等」はともすれば全体主義的であり、あらゆる対立や戦争の根源にもなりうる極めて危険な思想だと感じるためである。(その単純化の過程で捨象された複雑な現実に思いを馳せろ、というのは酷だと思うし。)

加えて、そうした危険性を孕んでいることに無頓着に無自覚なまま、SDGsを単なる「エコ活動」とほぼ同義で語る風潮には強い違和感を覚える。会場には残念ながら、そうした表層的な展示も散見されてふ~~んと思った。真にSustainableな社会を実現するためには、自国がいかに「エコ」であるを示すより、異文化とどう向き合い、交流していくかを示す方がよほど有意義ではないか。国を背負っているからには、もっと真剣に展示内容を考えてほしかった。もちろん全てがそうだという訳では無いが、SDGsをテーマにしているというか全面に押し出している展示はもれなくハズレだから行かなくて良い。

 

次に評価が難しかった点が2つある。まずオペレーションについて。

日本人の運営能力は極めて驚嘆に値するもので、これほど大規模な会場を大きなトラブルなく回している点は見事だった。しかしその代償として、各国のパビリオンからレストランに至るまで、ありとあらゆる場所に日本人スタッフが配置されていた。自分が万博に期待していたのは、言葉が通じない海外のスタッフと身振り手振りでコミュニケーションをとるみたいな一種の異国体験だったのだが、残念ながら会場のほとんどは「日本」であった。まあそうしなかったら絶対このキャパの運営は回らないんだろうけども。

 

それと各種アトラクションについて。

人気のところだと住友館とかガンダムとか、やりたかったことは(最後に)わかるんだけど、エンタメに振り切っているわけでもなく、かといって展示として何かを学ぶにはあまりに鑑賞者に委ねすぎていて、どっちつかずで難解な印象を受けた。

よく万博の開催自体が若者中心に叩かれていたわけだが、その若者をこのアトラクションに放り込んで何かを感じさせるのはこれもまた酷だろと思うし、アトラクションとして楽しむには面白さも足りてないような気がする。アトラクションが楽しみたいなら絶対横で今万博に人吸われてるUSJに行くほうが賢明だろう。あとそういえば万博の食べ物は高い!というのも結構叩かれていたが、そう思う人も絶対USJに行ったほうがいい。これは決してそうした価値観を否定したいのではなく、万博にはそういう層に何かを訴えかけることができるような展示やアトラクションはないというだけの話である。

 

と、ここまで批判的な視点が続いてしまったので、ここからは純粋に良かった点も挙げておきたい。
万博で最も素晴らしかったと感じたのは、各国のパビリオン建築とそれを眺めながらできる食事だった。各国の展示物以上に、その国の建築様式や食文化からこそ異文化をダイレクトに感じることができると思う。中東系の建物は特に素晴らしく、サウジアラビア館はレストランこそ満席で入れなかったが、その壮麗な建築だけで十分に満足できた。

 

さっき若者は無理して万博に行く必要はないという旨を書いたが(おれは若者だけど!)、他方でそういった文化や雰囲気をそこかしこから手軽に感じられるという点も踏まえると、子供がいる家庭はこの会場に子供を連れてきて万博の会場を体験させる責務があるな、と感じた。自分が愛・地球博の影響でこう育ったとかは特に一切ないのだが、愛・地球博に行っていなかったら今回の万博にも行こうとは思っていなかっただろう。なのでそれはきっと、将来の何気ない行動にポジティブな影響を与える原体験になるのではないだろうか。

 

その他良かったと思った展示についても触れておく。

・大阪ヘルスケアパビリオン (リボーン)

個人的に今世界でブレイクスルーになりうる技術の適用先は医療・ヘルスケアだと思っているのもあるが、アトラクションが多々ある中で一番万博のテーマに沿ったアトラクションだと思う。ちゃんと面白い所も良い。予約枠みたいなの使うならとりあえずここをお勧めしたい。

そりゃあね

 

モンスターハンター ブリッジ

アイルーが可愛い。XR技術が未来感あるかと言われればそうでもないんだけども。

 

・フランス館 / イタリア館

多くの国がなんかSDGsをテーマに文化祭でやらされた感満載のやる気のないクラス展示みたいなのをする中で、特にSDGsとか関係なく催し物にはちゃんと全力を出す芸術の国としての矜持が感じられる展示。

イタリア館は急に深夜2時に封じられた予約が一斉に解き放たれた日があってたまたま予約できたから行ったんだけど、あんなに並んでまで行く程ではなくね?と思った。けど、見たあとバチカンの美術館とか行きたいな〜となったので芸術に特に興味ない人は行ってみて良いんじゃないかとも思う。最初からバチカン行けばいいだけの話でもあるんだが。

フランス館は列もサクサク進むし雰囲気あってよかった。というか他にもアメリカとか大国はたいていちゃんと金かけてるから見どころがあってよいと思う。

例のやつ。

・ヨルダンパビリオン

ちゃんと生きてたらいずれイタリアやバチカンに足を踏み入れることはあると思うけど、ヨルダンの砂漠に足を踏み入れることはないだろうよ。

 

・タイパビリオン

あんまり話題に挙がっているのは見なかったけど、アジア人らしい勤勉に頑張ってる展示で好印象だった。ちゃんと文化祭やってる真面目なクラスみたいで。地味に100点の展示だと思う。

 

 

トルクメニスタンパビリオン

Twitterで話題になってて行列になってたやつ。これも生きてて行くことはないシリーズの国だけど、金かかってて雰囲気あって結構面白いと思った。カフェも行ったけど美味しかった。

 

・ミャクミャク様

2Dだと奇怪だけど3Dだと可愛い。2Dのイラストは目が一定の形をしていて感情ある生物に見えないんだけど、3Dだとウィンクとかしていて親しみがあるからかも。

 

・新大阪で食べたたこ焼きと551

計2日の万博でいろんな国の料理を食べて海外料理ってうまいな~海外行きて~と感じていたわけだが、帰りに新大阪で食ったたこやきと551が今回の遠征で一番うまかった。

お、おれは一体・・・・・・